ぎゅ。
(「終末世界と放浪少女2(チームランドセル)」/CVこやまはる)
「先生、ぎゅってしてあげます」
「遠慮しなくていいんです。つらいときには、わたしがぎゅってしてあげます」
(『medium 霊媒探偵城塚翡翠』p.353)
『medium 霊媒探偵城塚翡翠』(相沢沙呼)を読んだので、今日はその感想を書こうと思う。
なお、本作はネタバレ厳禁なタイプのミステリ小説なので、未読の人は注意してほしい。あと、ボクはミステリにわかなので、ミステリ好きからすると何を言ってるんだかという文章かもしれない。あと、ボクは映画『グランド・イリュージョン』を見たことがない。
(以下の『medium』からの引用は文庫版から)
読んでいるときはすっかり忘れていたのだけど、ボクが相沢沙呼を読むのは本作が初めてではない。アンソロジー『放課後探偵団』で「恋のおまじないのチンク・ア・チンク」を読んだことがあった。相沢沙呼のデビュー作『午前零時のサンドリヨン』シリーズの一編で、マジシャンの少女が登場する。そのときに相沢沙呼自身マジシャンだということは知っていたのだけど、本作を読んでいるときには頭から抜けていた。
まずいきなりだけど、本作は〈どんでん返し〉ものだ。このどんでん返しはキャラクターとその関係を大きく変えてしまうものだから、ショックを受けた読者も少なくないらしい。ボクはというと、痛快だった、というのが良いと思う。
ということで、本作のどんでん返しはいかなるものなのか。なぜそれが痛快なのか考えたいと思う。
とりあえず、Amazonの商品ページからあらすじを引っ張っておく。
(心に傷……?何の話だ……?)推理作家として難事件を解決してきた香月史郎は、心に傷を負った女性、城塚翡翠と出逢う。彼女は霊媒として死者の言葉を伝えることができる。しかしそこに証拠能力はなく、香月は霊視と論理の力を組み合わせながら、事件に立ち向かう。一方、巷では連続殺人鬼が人々を脅かしていた。証拠を残さない殺人鬼を追い詰められるのは、翡翠の力のみ。だが殺人鬼の魔手は密かに彼女へと迫っていた――。
あらすじを見ればわかるように、本作では論理と霊能力は対立していない。香月も早い段階で翡翠の霊能力を信用してしまい、疑うことはまったくない。
プロローグ(時系列的には最終章の直前)からしてこの調子である。
後から見ればこれみよがしなミスリードである。たいていの記事では、その素性不明の霊媒に対して、批判的に書いている。当然だろう。霊能力者がその力を用いて事件を解決していくなど、夢物語に等しいことだ。目の前の婦人は、そんな夢物語に縋りたいのだろう。
だが、彼女にとって幸運なことに、それは決して夢物語ではない。
真実なのだった。
(p.10)
ボクは最後の《真実なのだった》を読んだときにナガノの《「最強」なのだった》を思い出してしまいツボに入ってしまったのだけど、ボクの違和感に対する嗅覚は間違っていなかったことがあとでわかることになる。
霊能力者・城塚翡翠と推理作家(=探偵)・香月史郎という組み合わせ。この構図は、オカルト・ホラーものではかなり典型的なものだ。心霊的なものは女性に、論理的・合理的・科学的なものは男性に。
ホラー映画では、当然のことながら心霊現象は実在する。だから、科学=男性は敗北することになる。
だからボクは本作もそういうものだと思っていた。香月の論理は心霊に敗北し、香月はいつか死んでしまうのではないかと予想していた。ていうか、期待していた。
もちろんそうではなかった。だって本作はホラーではなく、推理小説なのだから。
論理が勝つに決まっている。
本作の〈どんでんがえし〉。
……翡翠は霊能力者でもなんでもなかった。奇術によってそうだと思い込ましていたのである。
翡翠が事件の真相を言い当てることができたのは、霊能力によるものではなく、論理力、推理力によるものだった。
読者と香月は、本作を心霊現象と論理の対立の物語だと思っていたかもしれないが、最初からそんな対立はなかったのだ。
あるのは、論理と論理、推理と推理の対決だけだったのである。
香月は自分の「論理」によって翡翠を助けているつもりだったのだが、翡翠の「霊能力」をすっかり信じてしまっていた香月はもはや合理的でも科学的でもでもなんでもなかった。
香月が翡翠に負けた理由、それは単純に論理の力、推理力の差だったのである。
翡翠は香月に対して最後にこう名乗る。
わたしは、探偵ですよ。霊媒探偵城塚翡翠——
(p.463)
タイトル回収!!。
翡翠は、霊媒で探偵だったのである(霊媒はインチキだけど)。
どちらが探偵として優れているのか。強いのか。
本作はそういう戦いだったのだ。
そもそも、第一章の時点で少なくない読者はこう思うはずである(ボクは思った)。
「香月いる?」
第一章のラストで香月はこう言っている。
「霊媒というのは、生者と死者を媒介する存在です。だとしたら、僕はあなたの力を、論理を用いて現実へと媒介する、お手伝いをしましょう」
(p.117)
なんで?香月いなくても翡翠が一人でやればいいでしょ。
実際、翡翠は一人でどっちもやるのであった。
つまり翡翠が「霊媒探偵」と名乗ったとき、こう言っていたのだ。私は香月(=男=読者)より頭がいいし、香月(=男=読者)なんて必要ない、と。
(こんな話に五冠も与えたミステリ好きはマゾなのか?)
ホラー映画の話に戻る。『medium』はホラーではないといったのになぜまたホラーかというと、本作はある段階までは心霊現象は実在するものとして扱われており、ホラーとして考えるとよく整理できるからだ。
(本記事のホラー映画の話は『男と女とチェーンソー——現代ホラー映画におけるジェンダー』(キャロル・J・クローヴァー)をおおいに参考にしている)
ホラー映画のサブジャンルの一つに、スラッシャー映画というものがある。その元祖は、ヒッチコックの『サイコ』であると言われている。映画『サイコ』のストーリーは前半と後半二つのパートに別れている。最初の主人公はある女性だが、彼女は前半のラストで惨殺されてしまう。彼女が惨劇にあったあと、私立探偵が登場し事件の真相を解き明かす、というがストーリーだ。
犠牲者は女性、ヒーローは男性という構図がここにはある。
まだこの時点では。
スラッシャー映画はここから構図を大きく変える。『悪魔のいけにえ』『13日の金曜日』などでは一人の女性が犠牲者もヒーローもどちらも担うことになる。惨劇を生き残り、最後に殺人鬼と対決することになる女性を〈ファイナル・ガール〉と呼ぶ。ファイナル・ガールの特徴は、たんに生き残ることではない。自ら能動的に事件を捜査し、殺人鬼に立ち向かうのだ。つまり、ファイナルガールは『サイコ』における犠牲者と探偵の役をどっちもやることになったのである。
ここには「見る/見られる関係の逆転」がある。彼女は殺人鬼に、また観客に見られるだけだったが、自ら見るものになったのである。
また、スラッシャー映画の説明はこういうものである。
《サイコパスの殺人鬼が集団をつけ狙い、多くの場合は刃物で殺害する内容のもの》(ウィキペディアから引用)
思えば、『medium』のストーリーも、サイコパスの連続殺人鬼との対決であり、スラッシャー映画的だ。また、このサイコパスの殺人鬼の凶行理由は「姉が目の前で死んでしまった」というトラウマが原因であるとされ、近親相姦的な妄想も示唆される。これも、スラッシャー映画における殺人鬼の特徴だ。例えば『サイコ』のノーマン・ベイツは母親の抑圧が原因で殺人を繰り返しているのであり、また、母親の皮を被っていたりする。
『medium』の最終章、連続殺人鬼は翡翠を標的にする。殺人鬼は翡翠を捕らえ、《ナイフを突き立てた》という文章までインタールードされる。
翡翠は殺人鬼の最後の犠牲者なのだ。
そこから逆転し、翡翠は殺人鬼と戦い、勝利する。
『medium』のどんでん返しが痛快な理由。それは、翡翠が探偵でファイナル・ガールだからだと、いえるのではないか。
……待て待て、『medium』はホラーじゃなくて推理小説だって言ったじゃないか。
本作の感想として、「騙された!ショック!」というものが典型的なのではないのかと思う。でも、正直言ってボクは、「頼むから騙していてくれ!!」と思いながら読んでいた。べつにこれは「心霊現象なんてあるわけないでしょ」と思っていたわけではなかった(むしろそこはあってほしかった)。翡翠というキャラクターの描写がどうかしていると思ったからである。
まず、そもそもの話として「霊能力があるけどそれを現実の問題解決に活かせず困っている女性を助ける論理的なオレ」という構図が正気とは思えない。いくらなんでも(ある種の)男の願望充足すぎる。
まあ100歩譲って構図自体はいい。そういう願望とその受け皿となる物語があってもいい。
しかしそれ以外のディティールがいちいち変だ。
例えば香月と翡翠が二回目に出会う場面。
香月が駅に行くと、女性が三人のナンパに囲まれて困っている。香月は最初気づかなかったが、その女性は翡翠だった。気づけなかったのは、以前の印象と違っていたからだ。
人形めいた無表情とは打って変わり、困ったように眉を寄せ、表情を青ざめさせながら、おどおどと狼狽えている。さながら、“狼”に狙われた子羊のようだ。
(p.42)
最初に仕事場で出会った翡翠のいかにも霊媒士然とした雰囲気は演出であり演技で、本当の彼女はか弱い女性なのだ。
……て、いくらなんでも都合良すぎるだろ!あざとすぎる設定だろ!こんな設定にされていまどき喜ぶ読者がいるのか?
しかも言うにことかいて香月のセリフがこれである。
「意外でした。前にお会いしたときと、ずいぶんと印象が違うので。もうちょっと、神秘的でミステリアスな方なのかと思っていたんですが」何様のつもりだお前?ものには言い方ってものがあるだろ!
(p.44)
そういうわけで、早い段階からホラー映画とかスラッシャー映画とか関係なく香月は死んだほうがいいとボクは思っていたのである。ていうかナンパに囲まれてるってのもテンプレすぎるというか漫画すぎるだろ。
まあまあ、まだこういう男にとって都合の良すぎる描写は呆れるだけだからまだいい。問題は次のようなところだ。
第二章、香月は翡翠が夢で見たというイメージをもとにして推理を組み立て、それを説明する。その推理はいくつかのパターンに分かれた若干複雑なもので、ボクも図におこさないとすぐには理解できなかった。説明を聞く翡翠の描写がこれである。
翡翠は眉根を寄せながら、じっと香月の話を聞いている。
千和崎がやってきて、アイスコーヒーを出してくれた。休憩にはちょうどいいだろう。
「翡翠ちゃんってば、頭がこんがらがってる感じですねぇ」
そう言ったのは、千和崎だ。プライベートでは、そう呼んでいるのだろう。翡翠は頬を膨らませて千和崎を睨んだが、睨まれた当人はまるで気にした様子もなく、鼻歌交じりにキッチンへ引っ込んでしまう。
「大丈夫です。続けてください。わたし、理解できてますから」
むきになるように、そう言った。
(p.203)
馬鹿にしてるのか?
翡翠を。読者を。
こんな描写をされて喜ぶ読者がいるのか?いると思ってるのか?
もし本気でこんな文章を書いているとしたら、相沢沙呼は正気ではない。
正気だった。
全部ウソだった。
翡翠の都合良すぎるキャラは全部作ったものだった。
そんなわけで、翡翠がすべてをバラす場面、ボクはショックを受けるよりも「よっしゃあああ」というガッツポーズと同時に「良かったあ」という安堵の気持ちが強かった。(ただ、正気だとそれはそれで拍子抜けというか、落胆があった。だって当然そうなるべき展開で、想定の範囲内だから。←めんどくせえ)
翡翠は香月を騙すために(かなり体を張った)演技をし、奇術を使っていた。香月を陥れるために。香月を破滅させるために。
そう、翡翠は香月という男を破滅させる運命の女、〈ファム・ファタール〉だったのである。
『medium』のどんでん返しが痛快な理由。
それは、ジャンルが逆転するからだ。スラッシャー・ホラーからミステリーに。ファイナル・ガールからファム・ファタールに。
ここではさらに、見る/見られる関係が逆転する*1。
翡翠の霊能力は全部ウソで、推理によって得られた結論だった。それをすべて翡翠はバラすのだけど、そこで翡翠は香月=読者にこう問いかける。
「よろしいんですか?わたしが説明してしまって?考えることを放棄しちゃいます?このままページを進めてしまっても?」
煽るように言う彼女を、香月は睨み付けた。
「よろしいでしょう。では、解決編です」
(p.408)
かなりメタい発言である。香月に向けた発言だが、明らかに読者に向けた発言でもある。
読者はこれまで、物語の外側に立って翡翠と香月の冒険を見ているつもりだった。
しかしここで、当事者の立場に立たされることになる。
翡翠というキャラクターは、香月だけでなく読者も手玉に取っているのだ。
これは、推理小説という、読者がただ書いてあることを読むだけでなく頭を使って推理することを楽しみとするジャンルの特性を生かした、強烈なファム・ファタールだ*2。
通常、ファム・ファタールの登場するフィルム・ノワールでは探偵が主人公で、彼が事件を追うちにファム・ファタールに出会い、破滅していく。けれど、『medium』の城塚翡翠はファム・ファタールも探偵もどっちもやるのである。
とはいえ、視点の問題によって翡翠がファム・ファタールに見えるだけで、策謀によって犯人を罠に掛ける探偵というのは実にオーソドックスなことをやっている。
『刑事コロンボ』や『相棒』でもよくあるこの策謀によるバトル展開がボクは大好きだ。
そこには二つの視点がある。騙す視点と騙される視点。ドラマを観ているときに視聴者は探偵の方の味方をしているので、騙す方として罠に掛ける快感を得ることになる。一方で、映像的には騙していることは明かしていないことが多いから、騙されるショックと楽しさを味わうことができる。
だから、『medium』がそういう展開になったことと、続編でもそういう展開になるだろうことはボクは大歓迎である。
騙す/騙される、騙しているとわかっているのに騙されてしまうというのは、相沢沙呼にとって重要な要素であるマジックに特徴的なものだ。
そこで、ボクはある映画を思い出した。というか、その映画の評論を思い出した。宇多丸の『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』評だ。ちょっとその評論を引用しておく。
一作目の『グランド・イリュージョン』で僕、すごくよかったところなんですけど。オープニングでジェシー・アイゼンバーグ演じるアトラスが見せるあるマジックがあるんですけど。これは映画というメディアならではの仕掛けで、すごくうならされました。タネはなんとなく想像はつくんだけど、要はその観客という安全圏にいるつもりだったこちら側の、しかも心理ですよね。心理までもスクリーンの中から見透かされたような気がする。「えっ、なんでわかったの?」って、やっぱりリアルに思うんですよ。カードをシャッフルして、「心の中で(カードを)決めてね。あなたが選んだカードは、これですね?」「えっ!?」っていう。なんとなくタネの想像はつくんだけど。つまり、僕がよく言う映画の醍醐味。「見る/見られる関係の逆転」っていうのが一番スリリングだって言っているけど、それの究極系ですよね。「お前の心の中もこっちは見ているぞ」って言われている感じがして、「うわっ!」ってなる。そのオープニングの素晴らしい仕掛けのインパクトである意味、その後も引っ張るというところはあったかもしれません。
(ボクは一時期RHYMESTER宇多丸のシネマハスラー/ムービーウォッチメンを某動画サイトで死ぬほど聞いていたので、似ている要素のある映画評論がすぐで出てくるのだ)
ここでは「見る/見られる関係の逆転」を映画の醍醐味と言っているが、『medium』ではミステリというジャンルだからこそできる関係の逆転を最大限に活かして、相沢沙呼は城塚翡翠という大変魅力的なキャラクターを作りあげたのである。
最後に、もう一つだけ。
城塚翡翠は当初、霊的なものを感じる第六感を、魂の「匂い」を感じると表現している。とはいえ翡翠の霊能力はインチキだから本当はそんなものは感じてはいないはずである。しかし、インチキ霊媒だと種明かししたあとのセリフでもこんなことを言っている。
「先生に興味があったからですよ。初めてお会いしたときから、この人はおかしいと思っていたんです。わたしに知られてはならない秘密があるのだと。わたし、人間の心理を読むのは得意なんです。あなたからは、人殺しの匂いがしました」
(p.398)
これは……?無論比喩なんだろうけど、ボクにはずっととあるネズミのことが頭から離れなかった。その嗅覚によって、心と身体に傷を負った少女の戦いを支援したネズミのことを……。
「君の今の感情は理解している。君は今、怒っている。とてもね。苛立っているし、恥ずかしがっている。口惜しさもある。君からはそういう匂いがする」
——匂い?
「体臭だ。俺みたいなネズミは、相手の感情を体臭で理解する。知らなかったかい?」
いきなり種明かしをされてバロットは戸惑った。それがすごいことなのか、大したものではないのか、よくわからなかった。ただ、先ほどまで感じていた一体感や安心に水を差された気分だった。
(『マルドゥック・スクランブル改訂新版』(冲方丁)p.77)
*1:香月から見た翡翠の姿は毎回毎回異様に細かく描写さている。例えばこんなふうに。
城塚翡翠は、それこそ西洋人形のように姿勢正しく、そこに腰掛けていた。
白雪を思わせるきめ細やかな肌と、異彩を放つ碧玉色の双眸。耳のあたりから毛先に向かうにつれて緩いウェーブを見せる黒髪は、前髪も内側へと柔らかいカールを描いていた。こうして言葉を発しないでいると、ショーケースの中に収められた精緻な自動人形のように見える。だが、今日の翡翠は霊視に臨むようなときとは違って、超然として いる様子は微塵もない。むしろ緊張に身を強ばらせているようにも見えた。
(p.129)
こういう描写を何回もやっててどうかしていると思ったのだけど、これも「見る/見られる関係の逆転」への「伏線」なのかもしれない。
*2:城塚翡翠は最後までファム・ファタールとして本当にうまくやる。それも香月が退場したあとまで。良きファム・ファタールの条件として、本気で好きなのかそうではないのか最後までわからない、最後までどっちでもありうるという要素があると思う。例えば、『チェーンソーマン レゼ篇』での上田麗奈のレゼの演技の評価でこういうものがある。
映画で見るとやっぱりちょっとブれてるというか、私は最初から騙してたんだよみたいなこと言っててもなんか上田麗奈の声で喋られると二重に聞こえるというか 、もしかしたらそれは嘘かもしんないし、本当かもしんないという感じがずっと続いてるんですよね。だから結構俺上田さんの声優としての演技がこのレゼ編の 解釈自体変えちゃった可能性もあるんじゃないかなって思ってて。
(『チェーンソーマン レゼ篇』を読み解くことで藤本タツキを解体する 石岡良治×成馬零一×宇野常寛https://youtu.be/LX4o-tgD1zM?si=0XzLLr_-deFNgtkm)
上田麗奈といえば、チェンソーマンではレゼを、閃光のハサウェイではギギを演じる世紀のファム・ファタール声優だ。
翡翠も、最後まで本心がわからない。エピローグ、翡翠の世話人である千和崎は、翡翠の部屋のゴミ箱で何ヶ月も前に香月と行った遊園地の半券を見つける。あの、香月に好意があるように見えた翡翠の描写は、行動は、演技ではなかったのか?本当だったのか?最後までサービスを惜しまないというか、読者を手玉に取り続けるというか、極上のファム・ファタールだ。

















