あらすじはかかないよ。
この映画の見どころはなんといっても役者の演技だろう。それも被害者のそれではなく、弁護士たちのそれだ。被害者の話を聞いた弁護士達は、まさに「言葉が思いつかない」という表情をする。それはお悔やみを申し上げる〈アイムソーリー〉の表情であると同時に、困ったな=そんなこといわれてもどうしようもないよ、という表情だ。「お気持ちはわかりますが……」である。
映画を見る前、この映画がどんなストーリーになるのかイマイチ想像ができなかった。911被害者の命の値段を数えた男がいたという。では、彼の敵は何だったのか?それがよくわからなかったのだ。まあ、答えは単純で、自分だったというわけだ。「お気持ちはわかりますが……」という姿勢。被害者に寄り添う素振りを見せつつも、ただ自分の仕事を効率的に進めることにしか頭にない態度。それが、倒すべき敵だったのだ。
前進ではなく、立ち止まる勇気。それが、この映画の答えだ。立ち止まるとは、人を、数ではなく人として扱うこと。つまりリスペクトをもつことだ。
黒人職員の電話での面談が印象的だ。資料をファックスで送るのだが、コピー店があるか聞くも言い直し、「こちらで探しますね」という。ちょっとした親切心、思いやり、リスペクトが見れるいいシーン。
他に注目すべき要素は、新しく建築される家だろう。映画開始当初、つまり911直後はまだ測量をしていたが、終わる頃には完成している。崩れ落ちたwtcと、新しく建てられる家。
「あなたは橋ではない」と映画中でいわれる。被害者遺族のリーダーであるウルフはかつて、街の名物だった橋の取り壊しの反対活動をしていたが、結局橋は取り壊されてしまった。失意の中のウルフに911で亡くなった妻が投げかけたのが、「あなたは橋ではない」という言葉だ。橋は壊されたが、あなたが壊れたわけではない。だから、まだ他のことのために闘える。
ファインバーグは、そしてアメリカは何を建てたのか。
映画を見て思ったのは、「国」のお話だなあということ。
ブッシュ大統領はテロに対し「報復をためらわない」と宣言する。仲間が、私達が、国が攻撃されたという意識。被害者補償基金も国を守るため。そして命の値段をいくらにするかということも、国としてどうすべきかということだ。
英語について思ったこと。
アイムソーリーというのは良い言葉だとつくづく思う。相手の悲しみを思いやると同時に、ある種の謝罪も表明する。ケンリュウの『良い狩りを』でも触れられていたが、ちょうどいい表現だ。
ウルフから「あなたは橋ではない」という言葉を聞いたファインバーグは、「フォーチュンクッキーみたいだ」と言った。あちらでは意味深なことばといえばフォーチュンクッキーのようだ。
遺族一人ひとりに柔軟に対応すると方針を変更したファインバーグに対し、副マスターのカミールは賛意を示して「love it」というような表現を使っていた。チャーミングだ。