腕時計の話。バービー、仁義なき戦い、アウトレイジ

最近映画を見ていると、腕時計が気になる。といっても別にどんな種類の腕時計をしているかとかではなく、どういうふうに登場しているのかという程度だけれど。
 
例えば映画『バービー』にも腕時計が登場する。
バービーとケンはバービーランドから現実世界にやってくる。バービーランドと現実世界では女性と男性の扱われ方が正反対でバービーもケンも驚愕するのだけれど、ケンが最も感銘をうけたのが、(女性に)時間を聞かれたことだった。そのときケンは腕時計をしていなかったので時間を答えることができなかったが、ケンは時間を聞かれることで、リスペクトされていると感じたのだ。
バービーランドに戻りケンダムを気づいたケンは、さっそくピカピカした腕時計を二個も三個も巻き、バービーに見せつける*1
もちろんここで時計は男性社会の象徴として登場している。男性社会=近代社会=市民社会においては腕時計を巻いていることが一人前の社会人の証であるとされていたこともあった。「できる男」はいい時計をしている。時計を見ればステータスがわかる。……。どうしてそうなるかというと、社会に適応すること=時間をちゃんと守ることであるからで……。
ケンは腕時計を巻いて一人前の男になったつもりだけど、肝心の時間にはルーズ。戦争の開始時間を当初8時にしようとするが、もっと寝たいと他のケンがいいだし10時に変更してしまう。
 
さて、「腕時計は市民社会における手錠である」と言ったのは丸谷才一の小説『たった一人の反乱』に登場する元文学部教授の美術評論家である。何を隠そう、ボクが腕時計を気にするのはこの小説に出てくる時計の話が好きだからだ。この小説では全編に渡ってずーっと時計の話をしており、とってもおもしろい。
『たった一人の反乱』は、中心テーマとしてずっと時計の話をしているのだが、実はもうひとつ、ヤクザ映画もずっと登場する。『たった一人の反乱』は戦後20年か30年後くらいの話で、ヤクザ映画が大流行していたからではあるのだが、ヤクザは市民社会から自由なもの=市民社会に適応できなかったもの、反乱するものである。
件の美術評論家によれば、ヤクザ映画に出てくるヤクザは腕時計をしていないらしい。ヤクザは市民社会の秩序の外にいるからだ。確かに『仁義なき戦い』を見てみると組員たちは腕時計をしていなさそうである。でも、二作目の『仁義なき戦い 広島死闘篇』では腕時計は超重要アイテムなんだよね。大友とのケンカで腕時計を壊された山中。村岡組に拾われた山中に対し、村岡組組長はそのときにつけていた腕時計を代わりにと渡す。そんなことされちゃあ、もう尽くすしかないでしょう。まあつまり『仁義なき戦い 広島死闘篇』においてはヤクザの世界でも腕時計は「ええ男」の象徴であるわけだ。しかしこの腕時計が原因で大変なことになるわけだが……。

仁義なき戦い 広島死闘篇』より、村岡組長に時計をもらう山中
もちろん現代やくざが腕時計をしていないわけがない。アウトレイジシリーズに出てくるやくざたちは、だいたい腕時計をしていると思う。しかし腕時計が「ええ男」の象徴である程度であればまだよかったのだが、それがちゃんと仕事ができる=有能である=稼げるとなるとちょっと困る。
アウトレイジビヨンド』で山王会幹部になった石原はヤクザに成果主義を導入し、古い幹部を差し置いて有能な若手をどんどん出世させてしまう。そればかりか「無能に食わせる飯はねえ」とまで言ってしまう。

アウトレイジ ビヨンド』より、古参幹部を見下ろす石原
組に入ればとりあえず食いっぱぐれない(世話してくれる)、というのがファミリーである組に入る利点であると思うのだけれど、市民社会にも馴染めず、やくざの中ですら無能な人はどうなちゃうのかねえ、と『アウトレイジビヨンド』を見ていて思った。まあ、「無能に食わせる飯はねえ」とか言ってるからやられたわけですが。
 
でもしかし、やくざだからといって時間を守れないのはまずいよなあ。
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*1:

hollywoodreporter.jp

どうやら、ゴズリングの実生活にも“ケナジー”は流れているようだ。

……。