最近見た映画『世界侵略: ロサンゼルス決戦』『コズミック・シン』感想:普通に頑張るのがいいじゃん。

戦争映画が見たくて、というか銃撃音が聞きたくて、ネットフリックスにある『世界侵略: ロサンゼルス決戦』を見た。この映画、ぼくの中では『バトルシップ』と並んでオールタイムベスト級に好きな映画だと思ってたんだけど、ちゃんと見た記憶がなかった。見返したら、やっぱり大好きな映画だった。
 
内容は、世界各地の沿岸部に流星群らしきものが落下(最初の落下は東京湾)。その流星群の正体はエイリアンの軍団だった。エイリアンは世界各地の沿岸都市に攻撃を開始。ロサンゼルスを守るため、海兵隊は出動する……。
 
ここまで書いてみたけど、この映画これ以上でもこれ以下でもないんだよね。だってこの侵略してきたエイリアン、恒星間航行できる科学力がある割には軍事的に人類よりそんなに強いわけではなく、海岸から地道に攻めてくる。そしてアメリカ軍はそれを地道に撃退する。撃退できてしまう。バトルシップみたいに最後は老戦艦が出てきてドリフトするみたいな超展開で解決するわけではなく、普通に頑張って倒す。
 
でもこの普通感・地道感がこの映画のいいところだと思うんだよ。映画の冒頭20分くらいは、海兵隊の日常が描写されている。かつては戦場で活躍したけど、身体的精神的限界を感じて退役を考えている二等軍曹。昇進を喜ぶ妻の、膨らんだお腹にキスして家を出る少尉。結婚式の花を選ぶ兵士、童貞いじりする先輩兵士といじられる新人兵士……。このふつうの軍人たちが、ふつうに頑張ってふつうに戦う。
 
映画後半で、分隊は犠牲をだしつつ頑張って市民を救出して前線基地に帰ってくる。でもその前線基地は壊滅していた。分隊は残っていた物資を集めて他の救出ポイントを目指すんだけど、前線基地で死んだ兵士たちもしっかり映す。彼らも、普通の軍人で、普通に頑張って、普通に死んでいった。生き残ったものだけでなく、死んでいったものたちも忘れない。この眼差しが素晴らしいんじゃないか。まあ、そんなに珍しいものでもないかもしれないけど。
 
それなのにさあ、ウィキペディアで「独創性の不足」とか「陳腐な対話」とか言われてると悲しくなるよ。『ブラックホーク・ダウン』の敵をエイリアンにしただけだけど、エイリアンにしたのがいいんじゃん。独創性じゃん。そのエイリアンはそんなにおもしろいものじゃないけど、エイリアンが使ってるガジェットは結構おもしろかったよ。なぜか多脚のうえにロケットブースターがついてる分隊支援用の手動操作ミサイルランチャーとか、なぜか毎回ミサイルを多弾頭発射する無人機とか(派手でいい)。こんなもんだけど。確かに会話はおもしろくない。あんまり気が利いてない。それで終わり?みたいな会話がよくある。でもふつうの会話ってそんなもんでしょ。それがいいんじゃないか。
 
元前線基地で装甲車を手に入れた分隊はエイリアンを蹴散らしつつ(「道に鹿が出てきたらどうする?」「加速です!」)救出ポイントに到着し、救助ヘリに乗り込む。しかし上空から見てみると、敵の司令部らしきものを発見。これを破壊すれば無人機を無力化し、制空権を確保できる。偵察できるのは俺達しかいない!と、二等軍曹は一人地上に戻る。もちろん二等軍曹だけを行かせるわけもなく、他の分隊員たちも続いて降下。ここで感傷的なセリフがあったらやだなあと思ってると、「逃げろといっただろ」「二等軍曹が心配で」。二言でこの会話は終了、作戦会議に移る。これでいいじゃんねぇ。
で、敵司令部をどうやって破壊するかというと、普通に地対地ミサイル。でもその地対地ミサイルを誘導するために、レーザー照射しなきゃいけない。この映画の一番良いところはやっぱここだよ。この、軍人たちの連携。前線でレーザーを守ってる分隊員たちはもちろんだけど、後方でミサイルを発射してる人も頑張ってる。みんなで頑張って勝利する。これがいいんだよ。
さらにそのあとが素晴らしい。司令部を破壊されたエイリアンたちは退却し始める。それを見た分隊員たちはどうするのかというと、黙って見ているのではなく、逃げるエイリアンに追撃を加える。二等軍曹はライフルの弾薬がなくなって拳銃で撃ってる。いやもうぶち上がりですよ。
そのあとのエンディングもいいんだよねえ。臨時基地に帰還した分隊員。休憩もつかの間、二等軍曹は無言で弾薬を弾倉に詰め始める。それに無言で続く分隊員たち。ここでさらに胸が熱くなるんだよ。
この映画、基本的に自己犠牲バンザイみたいな映画。でも、それが軍人というものだし(「そのために給料もらってる」)、俺しかやれる人がいなかったら、やるんだよ。それがかっこいいんだよ。それがヒーローというものなんだよ。
 
ところでこれ東京にもエイリアン来てるはずなんだど、どうなったのかな。だれか『世界侵略: 東京決戦』つくってくれないかな。
 
さて、なんかこれでいいじゃんしかいってないけど、さすがにこれでいいじゃんとは言いづらい映画も見た。
 
LA決戦みたいなエイリアンと戦争する映画がみたくてTSUTAYAに行ってみると、ブルース・ウィリスがパッケージにいる『コズミック・シン』(2021年)という映画が面陳されてた。ブルース・ウィリスが出てる最近の映画ってことはそんなにおもしろくない映画なんだろうなと思って借りて見たら、やっぱりおもしろくなかった。
 
時は2524年。鉱山惑星でFC事案=ファーストコンタクトが発生する。この冒頭のシーンが何気にぼくのお気に入りで、この鉱山惑星には女性研究者?と男性警備員しかいない。でこの二人が「ここでやってみたかったんだ」「この星には俺達だけしかいないだぜ」とか謎にロマンチックなことをいいながらことに及ぼうとする。しかし期待も虚しくその前にエイリアンがやってきちゃうのだが……。
FC事案発生の報をうけた人類連盟のライル将軍(フランク・グリロ)は、元将軍のブルース・ウィリスを招集する。ブルース・ウィリスは人類連盟から離脱した勢力を「Q爆弾」によって惑星ごと消滅させたのだが、「野蛮すぎる」という理由で解任されていたのである。ファーストコンタクトが敵対的であることが判明したので、ライル将軍は先に敵文明を破壊するという宇宙に対する罪、「コズミック・シン作戦」を発動する。名前は超かっこいい(かっこよくない?)のだけど、しかし肝心の内容はというと、将軍と元将軍、FCに詳しい学者(ブルース・ウィリスの元妻)、あんまり頼りにならなそうな女性技術者、ライル将軍の甥を含む数名の兵士、という超少数精鋭で前線の惑星に乗り込み敵母星にQ爆弾を撃ち込むという、人類最大の危機にしては規模が小さすぎる作戦なのだ。少数精鋭なのはまあいいとして、なんで特殊部隊とかではなく将軍と元将軍という超重要人物な上に老人が前線にでなきゃならないのだ。
ツッコミどころはこのあともずっとあって終盤の展開はもうよくわからないのだけど、雑。あんまりおもしろくないしいろいろ足りてないけど、頑張ってるよ!て言いたかったんだけど、さすがにもう少しお話とか考えたほうがよかったのではないか。ブルース・ウィリスとエイリアンに寄生された元嫁の因縁・対決、将軍ブルース・ウィリスの選択と責任・後悔、老兵と新兵の継承、新兵の成長、いろいろ描けるし描こうとしてたのはわかるんだけど、詰めが甘いどころか雰囲気だけ。
というか、これブルース・ウィリスが出てる最後らへんの映画のはずなんだけど、ブルース・ウィリスはいろいろなものを失った老兵士として描かれてて、それでどうするかというとどうにもならないので、つらい。『キル・ゲーム』(2021年)の方は最強おじいちゃんでかっこよかったのに。
まあでも最後のシーンはよかったんじゃないかな。人類の危機を救った少数精鋭部隊は、ロードサイドのバーで敵降伏の報を聞いている。このバー、ロボットがバーテンダーだったり(ホログラムで表情をつくる。グラスに酒を注ぐのが下手)、ホログラムのバンドがいたりとSF的に気がきいていい。女性技術者とライル将軍の甥、まさかくっつくんじゃねえかなーと思ったらやっぱり最後はいちゃいちゃしてる。元妻を失ったブルース・ウィリスは、一人バーを出て星空の下へ。うーん別にそんなによくねえかな。でもふつうでいいんじゃない?